内部統制の文書化をめぐる大きな誤解(1)

火曜日 , 17, 2月 2009 内部統制の文書化をめぐる大きな誤解(1) はコメントを受け付けていません

内部統制といえば文書化、と脊髄反射で言う人が多い時期があった。

内部統制対応の本番を迎えるにあたりいろいろなところで尋ねられる。
「内部統制でほんとに文書化って必要だったんでしょうかねえ」
私の答えは今のところこうだ。
「実務上は文書を作ることは避けられない。でもそれを目的にしてはダメ」

確かに内部統制監査を行ううえでは文書化は実質的に避けて通れないし、内部統制の評価及び監査に関する実施基準でも文書のひな形が提示されている。いわゆる三点セット(業務フロー・業務記述書・リスクコントロールマトリクス)のことだ。となると、文書化さえすれば内部統制対応はOK、ということになるの?という素朴な疑問が沸く。

基本に立ち戻ろう。
内部統制報告制度とは、ものすごく誤解を恐れずにかいつまんでいえば
「間違った内容の決算書を公表することを避ける」
(↑これは従来からあった)
に加えて
「間違った内容の決算書を作る原因となることを取り除く」
(↑これはなかった)
というものだ。つまり「間違った内容の決算書を作ってしまう原因」が企業における仕事の仕組み=業務プロセスにあるならば、それが正しく機能するように整備しましょう。というのが制度の趣旨。

説明責任(アカウンタビリティ)という言葉がある。硬い話になるが、株主から受託した財産をもとに利益を最大化し、再度株主に還元する責任を負った経営者に課せられた責任だ。今までは決算書という''「結果」''に対して持たされていた説明責任が、これからは業務プロセスという''「過程」''に対しても負わされることになる。

ならば、決算書を作るための仕組みが正しく機能することを「説明できる」ことが重要であって、そのための手段は各社各様に決めればよい、ということになる。文書で説明してもよいし必ずしも文書でなくとも説明可能な状況があればよいということだ。(ただし実務上は文書が必要になるので注意しましょう)

おそらくは内部統制の評価及び監査に関する実施基準でもそのあたりの方法論の混乱がみられないよう、内部統制評価の評価や監査の進め方をなるべく詳細に規定したものと想像できるが、実際にはこれがかなり裏目に出て多くの会社が「実施基準のとおりに文書化に注力すべき」と誤解してしまった。(文書化を顧客に提案することで収益獲得につながるコンサルティング会社やツールベンダーの後押しも、こうした風潮を助長している)

こういった制度の本質を見誤って厳格に文書ばかり整備することに注力してしまうと、必要でない作業をいたずらに増やす原因にもなる。このあたりの誤解が制度導入当初からあり、文書化偏重の傾向を生むという構図になっていったようだ。(つづく)